214

壊れた時計のように深く眠っていた。起床して、晴れていると見るやすぐに、寝具を干して、洗濯機を回した。ベランダから入ってくる風から、季節の変調が感ぜられて、なんだかそわそわする。

昼過ぎ、朝の快晴は一転し、鬱々とした曇天になる。猛風がぴゅうぴゅうごうごうあらぶっている。雨が降りそうなので、急いで寝具を取り込んだ。洗濯物も飛ばされて竿から落ちていた。
昼飯にカップ焼きそばを作る。寒いので、湯切りをすると白くて濃い湯気が、もうもうとたくさん昇ってくる。その湯気をなんとなく吸い込んでみると、うちの犬のおなかみたいな匂いがした。

ソイレント・グリーンを見た。少し古い、ありがちなディストピアものだったけど、その分シンプルで見やすく、示唆に富んだ皮肉が効いていて、楽しめた。藤子・F・不二雄のアレを想起した。
小説、映画、ドラマ、漫画やアニメ などの創作物は、日常の埒外のカタルシスを描く。善と悪、生と死、混沌。それらは芸術の完成に、不可欠なもののような気がする。非日常を成立させるカタルシス。しかしそのフラグメントは、日々の些細な営みや駆け引きに潜在している。

213

日付けが今日になるころにエデンの東を読み終わった。少し参っていたのも相まって、クライマックスで感情移入しすぎて視界にぱちぱち火花が閃いて、目眩がした。

午前4時あたりから間歇的に入眠と覚醒を繰り返す。うつらうつらしているうちに、いつの間にか外は明るくなっていて、どこからかバスケットボールをつく音と、子犬がきゃんきゃん鳴きわめく声が、しばらくの間聞こえつづける。家の前にある川沿いの道を、バイクがすごい速さで走り抜ける。平坦に伸びていく中音域の走行音はやがて萎え、フェードアウトしていった。
外に出ると、昨日一昨日にくらべて少し暖かい気がする。でも乾燥がひどくてやたら喉が乾く、唇もがさがさ。ニベア塗ってきてよかった。

近所の市営住宅にひっそり咲いている山茶花が目についた。山茶花は、小さなマンションの花壇にもちらほら植わってあるのを見かける。

なんとなく直帰する気分じゃなかったから、帰り際に喫茶店で日替わり定食を食べた。今日のメニューは焼肉と白菜と厚揚げの煮物。煮物の汁を啜ると、暖かい白菜の苦味がやんわり舌に拡がって、心地よかった。
気分がいいし、なんか酒でも買って帰ろう。

ふいに異様に大きくて、恐ろしく濃い月が眼前に現れて、ぞっとした。それに魅入られてしばらく動けない。

212

まだまだ寒い。ぴんと張った冬の快晴。空は高く、遠くで雲がまばらに散らばっている。雲たちの規模はまちまちで、うすくて小さいのや、厚くて大きいの。きれぎれのちぎれ雲。それらが悠々と気ままに漂泊している。

側道に錆色のキジバトが一羽、ぽてぽて歩いている。しばらく見ているとハトは矢庭に、ぱさ、と飛び上がって、浄水場の柵に乗った。
無風の日曜日の朝。町は、穏やかな水底のような静けさ。辻や、公園で、すずめたちの鳴き交わす声だけが響いている。そのささやかな喧騒が、静謐を際立たせていた。

近所の毎朝通りかかる、小さな寺の門戸の瓦屋根の両端に、立派な鬼瓦があることに気が付く。小径を睥睨する精巧な作りの、つやつやした厳しい鬼2匹と目が合った。母が小さい時分に、この寺で巨大な狒々が飼われていたという。本当だろうか。
寺を過ぎて少し行くと、郵便局の前の通りを大きなぶち猫が、なにか急用でもあるかのようなせかせかした足取りで、家々の間の狭い路地へ入っていった。

昨日かしわを食べた と言ってくるから、柏餅かと訊ねたら、チキンステーキのことだった。関西では鶏肉のことを、しばしば「かしわ」と呼ぶ習慣があるらしい。両親や祖父母ですら、そんな呼称を用いているのを見たことがなかったので、知らなかった。


211

夢うつつのなか。締め切った暗い部屋で、自分の呼吸音とエアコンの送風音だけが交互に聞こえる。吐く息に追蹤する風。ふたつの律動は交わることなく、平行線をたどる。

なにか夢を見た感触はあるけれど、内容が思い出せない。いくら追想してみても、断片すら出てこず、見たことのない構造物の上辺だけをなぞるような感じ。その輪郭以外は、影。
喉が渇いていたからキッチンに上がって水を勢いよくたくさん飲んで、コーヒーを入れた。
なにも考えずに何時間か転がっている。外はいい天気。

老いた友人と昼から酒を飲む。友人が好きな本や映画、音楽の話をする。2人とも意気投合し、王将でたくさん食べて、杯を重ねていい気持ちになる。少し飲みすぎた。帰宅してよこになって、起きると外は真っ暗。晩ごはんどうしよ。←どん兵衛の力うどん食べた。

今日がねむりと酔いのベールに包まれる。そこにきらめく優しい憂いと享楽、それらを僕は心地よい川床から眺めている。
遠のいていく、熱くて儚いものたち。



210

起床するもまどろみが重く、アラームが鳴ってから5分くらい布団の中で丸まっていた。スマホでニュースを繰ると、京都やいろんな地域で大雪警報が出ていた。こっちは快晴で、昨日より暖かい。少し湿度も高いのだろう、空気が澄んでいて、視界が明瞭だった。すこし自転車をこぐと、小路で登校中の小学生たちがだるまさんがころんだをしているのに遭遇した。

マンション群のむこうに旅客機が続けて2機飛んでいく。後の方が先方よりも近く、巨大な機体の底がはっきりと見えた。2機共に、前方の彼方の雲の壁に紛れていった。

決まった時間に同じ横断歩道で信号無視をする女の人を頻繁に見かける。そこはわりと大通りで、信号は押しボタン式。僕はいつもその女の人を追うように、彼女が渡るのに続いて信号のボタンを押す。彼女は僕が横断歩道を渡りきる頃には左のほうにある小路に消えてしまう。信号を無視する彼女の足取りは、いつもしなやか。

夕方、雨は降っていないのになんだか雨上がりみたいな雰囲気。6分くらいの曇り空。はげしい日が煌々と街を照らしていた。大きなホテルが金色の光を乱反射させる。

だいぶ暮れてから空を見上げると、右上に色も形も鮭の切身に酷似した雲を発見。灰色の皮のところと夕陽に焼かれて紅色になった身のバランスが絶妙。少し眼を離してからまた見てみると、切身はきれぎれのほぐし身になっていた。

29

朝、空は鉛色でシャーベットみたいな重いみぞれがぼとぼとびちゃびちゃ降っていた。みぞれは時間が経つにつれ、雪、小雨、と変化してまた軽いみぞれを経て重いみぞれへと戻っていった。変転は風が強くて雲の動きが速いせいだろうか、盈虧を連想して少し可笑しかった。

帰りの夜道は行き交う人たちみんなが影にみえる。大きいのや中くらいのや小さいの、手を繋いだ親子や、寄り添った恋人たちと思しきもの。影たちを目で追ってみる、やがて追い越したそれらは視界から離れ、後ろへ吸い込まれていく。
月を見上げると上下に雲がかかって、誰かが顔に被せた両手の隙間から、何か怖いものをおそるおそる伺っているかのような様態だった。しばらく眺めているうちに月はその上下の雲に覆われて隠れてしまった。

帰路の途中にある高校の正門の前を通ると、制服を着た女の子3人とおばさんの4人が円になって歩道を塞いでいた。4人はなにやら楽しそうに談笑している。何をしているのかと少し気になってよく見てみると、真ん中に白い大きな犬が抱かれていた。4人の腕の中の犬は溌剌として健康そうで、眼は欄と輝き、息を弾ませてきょろきょろしていた。僕はイヤホンを付けていて、それがどういう状況なのかわからなかったけれどあまり興味も湧かなくて、とりあえず鈴をじりと鳴らすと4人は端に寄って道を開けてくれた。彼女らが寄ったときに犬の体勢が少し崩れた。その横を通りすぎるときに、バランスを戻そうとした犬がこっちのほうに少し体を乗り出したのが見えた。

28

冬の最後の抵抗のような酷寒がここ数日続いている。低血圧で冷え性の自分にはとてもつらく 、毎朝布団から出るのが億劫だ。ひねもすエアコンを背にこたつにへばりついてうとうとしていたいけど、そうもいかぬが世の常、ナベツネ ってかんじで、毎日凍てついた外界を自転車に跨り手を真っ赤にして走る。乾燥で鼻もぐしょぐしょする。

やきとりが食べたくなって友達を誘った。メニューに載ってなかったけどししとうを注文してみた。注文は通ったんだけど後でししとうはないと言われた。店員さんが申し訳なさそうだったから、少し反省した。最初はちょっとぐちっぽい酒になっちゃったんだけど、ジョッキを重ねるにつれてふたりとも陽気になってくる。店を出るなり勢い付いて、もういっちょいくかと意気込んで行ったことのない海鮮メインの居酒屋へ入る。天ぷら盛り合わせとまぐろをとろろに絡めたやつとかカンパチのカマ焼きを平らげ、ハイボールや熱燗を空け加速する。気分がいいから3軒目は僕のいきつけのバーへ行った。店長は釣りが趣味で、たまに釣り上げたのを店で捌いて調理して出してくれるらしい。そう言って入れ食いになった日のたちうおの写真を見せてくれた。 銀色のすらっとした長い魚が6匹綺麗に平行にシートの上に並べられて、ぴかぴか光っていた 。たちうおにはうろこが無くてつるつるで、触ると鱗粉が手に付いて、きらきらたちうお色になるらしい。鱗粉はマニキュアにも用いられる 。そんなたちうおの写真を見てやたら楽しくなってきた。話は弾み、酒は進む。ウイスキーを飲み干してブラックルシアンを作ってもらった 。ウォッカベースのコーヒーリキュールを用いたカクテルで、まったりした黒飴みたいな味がしておいしい。カウンターに並んだリキュールの瓶の左端に、酒瓶と同じほどの大きさの茶色の筒があったので、それなんですか と店長にたずねたらアオリイカの募金箱だと言った。店長はアオリイカにも挑戦したいらしく、その募金はアオリイカ釣りの餌やルアーに充てられ、釣果は例のごとく店で捌かれ、客に還元されるという仕組み 。僕も帰り際に募金してあげようと思ったけど、おあいそするころにはすっかり忘れていた 。茶色の筒の横に同じ大きさの黒い筒もあったので、そっちはなんですか と訊ねると、副店長の手術費の募金箱だと言ったあとすぐに、本当に手術するのかどうかわからないんだけどと付け加えた。何の病気かとかは、追求しなかった。2月8日の夜は淀みなく、悠然と滑っていった。