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じいちゃんの訃報を受ける夢をみた。母にそのことを知らされたんだけど、存外母は落ち着いていて、その表情から、もうじいちゃんがいなくなったのを受け入れているのが、読みとれた。それを認めて安堵が悲しみを先回りして、泣けなかった。泣けないのが情けなくて、悔しかった。そこで6時のアラームが鳴って目が覚めた。なにか全体的に昏い印象の夢なので不吉だ。予知夢だったらどうしよう。と不安になっていると、また目が覚めた。さっきアラームが鳴ったのも夢の中で、スマホを見ると、まだ朝の4時だった。夢のマトリョーシカ。日が高くなっても訃報がなかったので、少しほっとした。

通勤時、空はねずみ色。雨がぽつぽつ降っていた。ふと右を見やると、道路の真ん中でからすが仁王立ちしていた。車が横の車線をびゅんびゅん走っている。それでもからすは、微動だにしない。危ないよとはらはらしてしばらく眺めていたが、幸いからすの車線に車は通らない。からすは石のように固まって、なんらかの決心を表明しているかのように、泰然と前方を睨んでいた。人々が忙しない金曜日の朝の往来で、からすだけ、時が止まっているかのようだった。

雨上がりの逢魔が時、しんみりとした人気ない通りに、からすの声が四方八方から谺する。右の呼びかけに答える左の鳴き声。前方の挨拶に答える右斜め後ろの声。とても騒々しくて、街は、からすの独壇場。見回してみても、からすたちの姿はなく、どこにいるのかよくわからない。空は、まだどんよりと重く曇っていた。傘は置いてきてしまっていて、いつまた降り出すかと不安だった。でもからすたちがこんなに元気に鳴き交わしているのだから、もう雨は降らないだろう。という根拠のない、妙な確信がふいに湧いてきて。それを得てからは、傘を持たずとも気楽な気持ちですいすい帰ってこられた。実際雨は降らなかった。初めてからすの報せの恩を受けた。ような。ていうかからすの報せってなんだ。よくわからんけど。今日はからすの日だった。