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朝、空は鉛色でシャーベットみたいな重いみぞれがぼとぼとびちゃびちゃ降っていた。みぞれは時間が経つにつれ、雪、小雨、と変化してまた軽いみぞれを経て重いみぞれへと戻っていった。変転は風が強くて雲の動きが速いせいだろうか、盈虧を連想して少し可笑しかった。

帰りの夜道は行き交う人たちみんなが影にみえる。大きいのや中くらいのや小さいの、手を繋いだ親子や、寄り添った恋人たちと思しきもの。影たちを目で追ってみる、やがて追い越したそれらは視界から離れ、後ろへ吸い込まれていく。
月を見上げると上下に雲がかかって、誰かが顔に被せた両手の隙間から、何か怖いものをおそるおそる伺っているかのような様態だった。しばらく眺めているうちに月はその上下の雲に覆われて隠れてしまった。

帰路の途中にある高校の正門の前を通ると、制服を着た女の子3人とおばさんの4人が円になって歩道を塞いでいた。4人はなにやら楽しそうに談笑している。何をしているのかと少し気になってよく見てみると、真ん中に白い大きな犬が抱かれていた。4人の腕の中の犬は溌剌として健康そうで、眼は欄と輝き、息を弾ませてきょろきょろしていた。僕はイヤホンを付けていて、それがどういう状況なのかわからなかったけれどあまり興味も湧かなくて、とりあえず鈴をじりと鳴らすと4人は端に寄って道を開けてくれた。彼女らが寄ったときに犬の体勢が少し崩れた。その横を通りすぎるときに、バランスを戻そうとした犬がこっちのほうに少し体を乗り出したのが見えた。

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冬の最後の抵抗のような酷寒がここ数日続いている。低血圧で冷え性の自分にはとてもつらく 、毎朝布団から出るのが億劫だ。ひねもすエアコンを背にこたつにへばりついてうとうとしていたいけど、そうもいかぬが世の常、ナベツネ ってかんじで、毎日凍てついた外界を自転車に跨り手を真っ赤にして走る。乾燥で鼻もぐしょぐしょする。

やきとりが食べたくなって友達を誘った。メニューに載ってなかったけどししとうを注文してみた。注文は通ったんだけど後でししとうはないと言われた。店員さんが申し訳なさそうだったから、少し反省した。最初はちょっとぐちっぽい酒になっちゃったんだけど、ジョッキを重ねるにつれてふたりとも陽気になってくる。店を出るなり勢い付いて、もういっちょいくかと意気込んで行ったことのない海鮮メインの居酒屋へ入る。天ぷら盛り合わせとまぐろをとろろに絡めたやつとかカンパチのカマ焼きを平らげ、ハイボールや熱燗を空け加速する。気分がいいから3軒目は僕のいきつけのバーへ行った。店長は釣りが趣味で、たまに釣り上げたのを店で捌いて調理して出してくれるらしい。そう言って入れ食いになった日のたちうおの写真を見せてくれた。 銀色のすらっとした長い魚が6匹綺麗に平行にシートの上に並べられて、ぴかぴか光っていた 。たちうおにはうろこが無くてつるつるで、触ると鱗粉が手に付いて、きらきらたちうお色になるらしい。鱗粉はマニキュアにも用いられる 。そんなたちうおの写真を見てやたら楽しくなってきた。話は弾み、酒は進む。ウイスキーを飲み干してブラックルシアンを作ってもらった 。ウォッカベースのコーヒーリキュールを用いたカクテルで、まったりした黒飴みたいな味がしておいしい。カウンターに並んだリキュールの瓶の左端に、酒瓶と同じほどの大きさの茶色の筒があったので、それなんですか と店長にたずねたらアオリイカの募金箱だと言った。店長はアオリイカにも挑戦したいらしく、その募金はアオリイカ釣りの餌やルアーに充てられ、釣果は例のごとく店で捌かれ、客に還元されるという仕組み 。僕も帰り際に募金してあげようと思ったけど、おあいそするころにはすっかり忘れていた 。茶色の筒の横に同じ大きさの黒い筒もあったので、そっちはなんですか と訊ねると、副店長の手術費の募金箱だと言ったあとすぐに、本当に手術するのかどうかわからないんだけどと付け加えた。何の病気かとかは、追求しなかった。2月8日の夜は淀みなく、悠然と滑っていった。