411

27歳になった。いよいよ世間でいうアラサーの仲間入りなんだけど、自分自信はそんな実感があんまりなくて、なんか当事者意識が希薄というか、中学生くらいから精神も肉体も全く成長していないような、ずっと地に足のつかない、ふわふわした感じで生きてしまっている。こんなんでいいんかい。と自問してみるけど、そのこんなんがどんなんか俺にはよくわからんし、まあ適当でええんちゃう?知らんけど。と内なる自分から返される。ま、いいか。

昨日は誕生日ってことで友人と焼き鳥屋に行った。そこでいいちこスーパーなるものを始めて水割りで飲んだ。なかなか良かった。

やきとりは、ししとうと、さんかくと、つくねが、好き。いい感じに酔っ払い、二件目でもう少し飲んで、それからつけ麺と玉子かけごはんで締めて、日付けが変わる前に鼻歌を歌いながら帰ってきた。少し食べ過ぎたかも。

406

最近、タバコを吸うようになった。以前から、酒の席とかでたまに友人にもらって吸ってみたりはしていたんだけど、なんだかピンとこなくて、習慣にはなっていなかった。でも2ヶ月くらい前に、クールスモーキングという肺に入れない吸いかたを知ったのを契機に、両切りのピースを1日に1本吸うか吸わないかくらいの頻度の、ささやかなスモーキンライフが始まった。それからというもの、朝は以前より40分早起きするようにして、コンビニの店前の喫煙エリアで、コーヒーを飲みながらタバコを吸うチルの時間を確保するようになった。なんだかあべこべだけど、喫煙を始めることによって、俺は健康的な生活リズムを得ることができた。

空に昇って消えていく、吐き出した煙をぼんやり眺めていると、心がしいんと凪いで穏やかだ。毎日それなりに楽しいけれど、それでもやっぱり、どうしようもない悲しいことや、不安や、焦燥が、しばしば不意に現れては、心をちくちくと苛む。そんな諸々を、吐き出す煙にあずけて…なんつって。

今朝も例のごとく、駅前のセブイレでタバコをぷかぷかふかしていた。ぼんやりしている俺の目の前を、ぱりっとしたスーツを着た、たくさんの初々しい新社会人たちがきびきびと歩いていき、それらはみんな駅の改札に吸い込まれていく。そんな春の瑞々しい営みは、なんだか微笑ましかった。左手を見やると、工事現場のバリケードの向こうで、大きな黒い重機が、その精巧な造りの立派な首をうな垂れて、静かに眠っている。そのあたりから、現場作業員たちの「安全ヨシ!」の勇ましい呼びかけが、電車の走行音よりも大きく聞こえてくる。俺はそんななんでもない朝の情景を、なんとなく、心に留めておくことにした。こんなことも知らないうちに溶けて忘れてしまうだろう。ちょうど今吐いた煙のように。その脆弱さに気づけないほどに儚いものは、いつだって美しい。

ある人にうれしいDMをいただいた。ずっと読み返してにやにやしてる(にやにや)

 

405

昨日の夜帰ってきてすぐ歯を磨いてから、ずっと布団の上でくたばっていた。3時、4時、5時と川の飛び石を渡るように中途覚醒する。その間に、きれぎれの夢をいくつか見る。気持ちよかったり苦しかったりするそれら。

起きて、シャワーを浴びる。頭のなかを満たす夢の残響は、シャワーを浴びているうちに霧のように晴れてきた。視界良好。

パーカーで外へ出ると肌寒い。昨日は夏みたいに暑かったのに。最近日によって寒暖差が激しくて、上着の選択が難しい。

スピッツの桃という曲が好きだ。半目で見る景色みたいに、朧げで、やさしくて。

死ぬまで何かをとらえることを辞められない人のまなざしは回り続ける星の光線と同じ。それは淵源から止め処なく押し寄せるビッグバンの余韻。

飲み会を2件断って、休日の予定もひとつ消えたから今日は飲むことにした。駅前のマクドで友人が来るのを待つ。

 

404

熱帯魚を飼う夢を見た。暗い部屋で、横の長さが2メートル以上はありそうな、大きな水槽がぼんやりと淋しく光っていて、俺はその水槽の前にちょこんと正座していた。水槽を覗くと、大きな灰色のたつのおとしごや、小さいテトラたちや、プレコや、コリドラスがゆらゆら泳いでいる。俺は餌をあげようと、スプーンで顆粒状の餌を容器からすくい、水槽の蓋の窓を開いた、すると、水面を泳いでいた、鮮やかな青い身体の中央に、血のように濃い赤の太いラインが横に一本入った大きな魚が、勢いよく飛び出してきた。飛び出した魚は、水浸しになった床の上で苦しそうにびちびち跳ねていた。やがて魚の身体はみるみるうちに萎んでいき、その眼から光は失われ、跳ねる力も次第に弱くなってきたから、俺は慌てて魚を掴んで水槽の中に押し込んだ。魚は水中でしばらく縦になってぐったりしていたけど、しばらくすると、また元気に群れに混じって泳ぎ回り始めた。そして安心して、もう一回餌をやろうと窓を開けると、その魚は懲りずにまた外へ飛び出してきた。夢の記憶はそこで途絶えている。その内容とは裏腹に、なぜか安らかな心地になるふわふわした夢だった。夢に水槽がよく出てくる気がする。

 

そういえば中学生のころ、実際に熱帯魚を飼育していたことがある。とは言っても、自分で購入したわけじゃなくて、父が不在のときに父の熱帯魚の世話を任されていただけだ。水槽には、プラティという肥えためだかみたいな丸っこい小さな魚がたくさんいて、群れを成している。ある日、俺はそこに、買ってきた灰めだかを1匹入れてみた、すると闖入者のめだかはたちまち怒ったプラティに追い回されて、水槽の端に追いやられてしまった。その日めだかは、底にある流木の陰に留まって、ずっとしゅんとしていた。俺はめだかに悪いことをしたと、申し訳なかった。

翌朝、めだかが気になって水槽を覗いてみると、なんとめだかはプラティの群れに混じって、元気よく泳ぎ回っているではないか。えさを入れるとめだかはプラティと一緒に塊を突く。あんなにぷんすかだったプラティたちは、俺が寝ている間に、闖入者のめだかを群れの一員としてすっかり迎え入れていた。それを見ていると、胸がじいんとして、泣きそうになった。めだかとプラティはまるで最初から一緒だったように、それから何日経ってもずっと仲良く泳ぎ回っていた。

後日その熱帯魚たちは、さじ加減のわからない幼い弟がえさやりをしようと意気込み、容器のえさを全部水槽にひっくり返して、全滅させてしまった。

たまにあのめだかとプラティのことを思い出す。またいつか魚を飼いたいな。

 

空は明るいけど雨がぽつぽつと降ってきた、今から友人とラーメンを食べにいく。

403

朝、よく出勤前に寄る公園がある。その公園には大きな樟があって、春になって葉が青々と茂ると、すずめ めじろ からす じょうびたき ひよどり など様々な鳥たちがその梢にやってきて、鳴き交わしたり、追っかけっこしたり、枝を啄ばんだり、にぎやかにしている。今朝も天気が良かったからそこへ、コンビニで買った缶コーヒーとパンを持って立ち寄ると、樟のほうからチュピチュピチュピチュピ と一定のリズムの、透き通ったさえずりが聞こえてきた。樟のふもとにそっと歩み寄って見上げると、小さなしじゅうからが、梢から梢へぴょんぴょんと器用に飛び移りながら、しきりにさえずっていた。しじゅうからは、この辺りでは少し珍しい。見えないけど、木の裏側にもう一羽いるようで、その子となにか会話しているようだった。今年発表された論文によると しじゅうからはイメージを単語化して、単語と単語を繋ぎ合わせて複雑な文章を作って、高度なコミュニケーションができる ということが判明したらしい。たとえば、仲間のだれかがヘビを見つけて、ヘビを意味する単語をさえずれば、他の仲間もそこにヘビがいることを認識できる、といったような感じ。こんなぽかぽか陽気の朝に、頭上のしじゅうからたちは、何を話しているのだろう。小鳥たちの会話は、どんな世界を小鳥の内に結んでいるのだろうか。そんなことを考えていると、なんだかぼうとしてきた。人間は、自ら発した言葉や、相手から受け取った言葉の真相を、どれほど捉えられるだろうか。口をついて出た言葉は、世界の表面をあえかにあえなく滑っていき、そして俺の認識は、その途切れ途切れの痕跡を虚しくなぞるだけ。そのときはなんでもなかった、自分やだれかのいつかの言葉が、不意に夢の中で具体性を持って現れ迫ってきて、はっと気付いて、後悔することもある。俺は自分の言葉に追いつくことすらできない。いつもわけがわからなくて、いっぱいいっぱいで、なんてままならないんだろう。そんなごちゃごちゃの想念が、しじゅうからを眺めていると次第に溢れてきて、うずまきはじめた。俺は「またね」と胸のうちでとなえて、それにそっと蓋をして、梢に向かって、しじゅうからを真似たへたな口笛を吹いてみた。反応はなかった。それからしばらくして、チャリに跨って公園を後にした。爽やかで気持ちのいい朝だった。

312

もうちょい暖かくなったら一日中散歩したり、少し遠出とかしたい。

ちょっと虚無ってて飲みたい気分だけど、誘える人もいないし、仕方ないから板チョコを食べて、横になってる。明日のヤンマガに喧嘩稼業が載ってるはず。楽しみ。

311

ある夢をみて少し動揺する。しかしいささかの動揺は、些細な刺激で高揚へと転じる。今日も相変わらず寒い。

昼、モンスーンカフェでナシゴレンや生春巻きを食べる。たくさんお話をして楽しい。冷たい紅茶が美味しくて、3杯飲んだ。上階なので雑踏が遠い。店内を満たす調理場の作業音や客たちのさざめきはフラットで、どこか夢心地だった。
久しぶりにロンドンティールームに行った。ふわふわのスコーンはほんのり甘くて、美味しかった。ぽろぽろ崩れて、うまく食べられなかった。
スタバのブレンドコーヒーが100円でお代わりできるということを教えて貰った。覚えておこう。

よくわからないけど、ある程度の繰り返しや充足を覚えたときに、全て手放してしまいたくなる。それは倦みではなく、清々しい、躍動への期待。明日には新しい、まっさらな自分になっていればいいなと思う。奥井亜紀の窓という曲がとても好きで、ちょうどそんな感じ。ねむりが総て攫ってくれればいい。